母は最近、私に優しい。
以前からも優しい母ではあった。
ただ社会人として、いい大人として大変情けない状態にある私はそれなりに呆れられている部分が増えていた。
そういう経緯もあり、自分は今回仕事を辞めることになったことについて、もう縁を切られる覚悟で打ち明けた。
在職中にも甘ったれずに頑張れという雰囲気だった母だったが、何故かあっさりこの件を受け止めて度々「焦らなくていいからゆっくり行こう」と言ってくれるようになった。
あれだけ叱咤激励しても、堪えきれず精神科に行くようになり顔がこけた娘の限界を感じたのかもしれない。
我が家は名前のつかない不調の激しい家系である。
母もきょうだいも免疫不全のような状態があり、ステロイドの内服やひたすらに寝ることでしか回復できないことがある。
私はこれまで家族の中では胃腸の弱いタイプではあるが、そういった大きな不調はなく単純に運動ができなくて体力が無い人間として生きてきた。
社会人になって自分には精神力も無いことに気付いた。
「あなたは忍耐はある子だと思ってたのに」と仕事を辞める数ヶ月前、母に言われた。
この情けないまでの精神力の無さが今回の辞職の直接的な原因だと思っている。
その一方で、辞める前の二ヶ月くらいで関節リウマチや膠原病を疑う症状が出た。
そして仕事を辞めてから全く予期せぬ不調が次々襲ってきていて、私にも例に漏れず免疫不全説が浮上してきた。
おそらくそういった事情もあって、母は私に急激に優しくなった部分もあるのだと思う。
私は母のことが昔からとても好きで、それなのに母を喜ばせることを何もできない親不孝で、大人になるにつれ変な溝ができたように感じていた。
優しい母が呆れたり苛立ったりするほど自分が情けないため、母のことを勝手に怖がるようになってしまった部分もあった。そして自分を隠すようにもなった。
縁を切られる覚悟をして辞職を打ち明けたのも、私が必要以上に母を怖がっていたということなのかもしれない。
また最近体調を崩し今度は高熱で数日寝込んでいたところ、母に「あなたが子どもの頃に熱性痙攣になったことを夢に見た」と言われた。
きょうだいにも「私は具体策を言おうとしてしまうけど、お母さんはあなたに寄り添ったり見守ろうとしていてやっぱり母親なんだなと思った」と言われて涙が出た。
母は今も私の母なんだという当たり前のようでそうでもない認識が嬉しくて泣いた。
親離れできなくてごめん。
私は成人してから、小さい子のいる家庭を見る時に胸が苦しくなるようで涙が出ることが増えた。
みんなはそうなのかもしれないけど、私はそこから自分が家庭を持って自分の子に幸せな思い出を作ってあげようという方向にいかなかった。
私は戻れない幼少期の暖かさに憧れて泣くことしかできなかった。(本当に精神的成長が無いのかもしれない)
その暖かさが少し今甦っているような感覚でずっと何とも言えなくて、胸が苦しくて涙が止まらない。
別にずっと母とともに居たけれど、自分はもう子どもではないし色々なことが変化してしまったのであの感覚には戻れないと思っていた。
今この瞬間に与えられた優しさをどうにかして永久のものにできないかと思ってしまう。
この愛情に対して対等な価値のある返事や行動や贈り物を私は用意できないままこれまでの人生を歩んできてしまった。
お母さん、今のところ全く親孝行できてなくて本当にごめんなさい。
なんとか生きようと思ってはいるし、それより死ぬ勇気が無いので結局生きてるんだけど、それ以上のことが果たしてできるのか全く検討つかぬままここまで来てしまいました。
好き放題可愛がれる孫も産んでやれなくて本当に申し訳ないです。それどころか花嫁姿すら見せることもできず、なんとなく安心させることができずにいます。
ただ私には幸せだった、恵まれてたと思うことがたくさんあって、そして好きなこととやりたいこともたくさんあります。
あなたにはいつも泣き顔を見せてたので、幸せじゃないのは私のせい?と言われたこともありました。
私は泣いてばかりで、他人のためになるようなことは何もできてませんが、私自身は幸せだったと思います。
本当にどうしようもないやつでごめんなさい。
少しでいいからこれからまともに向き合って、もう少し正直で心を通わせられる生活を送りたいと思っている。